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西城秀樹ってどんな人?

西城秀樹- それまでの日本において常識とされてきた大衆音楽の表現法

から大きく外れた情熱的なパフォーマンスで、かのエルヴィス・プレス

リーとも比較された音楽、放送業界において知らない者は無いスターで

ある。本名、木本龍雄。1955年4月13日、広島に生を受ける。凡そ50年

に亘るキャリアを持ち、その活動の殆どに優れた結果を遺した。とりわ

け、アジア各国の聴衆の心を捉えて離さなかったのは、その奥深く熱烈

な歌唱法、スタイルである。歌のみならずダンスや優れたプロデュース

力を持ち、映画界やテレビドラマ界においても多才ぶりを発揮し、戦後

の高度成長期の日本を代表するスーパースターとなった。59枚のアルバ

ムをリリースし、アジア各国において数々の音楽賞を受け、日本におい

てはもはや伝説の人と謳われる運命にある高みにまで達した彼に匹敵す

る歌手は、そうそう探せるものではない。そして今、インターネットの

恩恵によって、彼の遺した素晴らしい遺産は新たな聴衆に届き、世界中

の若い、外国人層のファンに魔法をかけ始めている。

'シティポップ’というジャンルが世界的に復活したおかげで、元来日本

国内で主に活動していた70-80年代の日本人歌手達が今、海外において

脚光を浴びつつある。山下達郎や竹内まりやのように、既に日本国外の

リスナーたちに知られている者もあるが、西城秀樹のように、今になっ

て音楽や文化への貢献度が認識され、話題になっているアーティストも

多い。新たにファンになった者たちの多くは、欧米の歌手達には例を見

ないような独特な歌唱スタイルや多岐にわたる歌唱ジャンルに取りつか

れている。70年代初頭に、郷ひろみや野口五郎と共に、新しい形、世代

の男性アイドルとして歩み始め、今日に至るまでの長い年月、これほど

までに長く第一線で活躍できるアーティストはそうはいないであろう。

ステージ上でのロックスター的な大胆な振る舞いや、真っすぐな、おお

らかで世界的な視野、力を持つ彼を知れば、彼のファン層が年齢、国籍

に偏っていない理由は明白だ。もはや日本語話者か否かも、問題ではな

い。言葉を超えているのである。本物のアーティストとは、感情やニュ

アンス、感覚をどのような媒体を介しても表現できるものであり、西城

は確実にそのような状態を最小限の努力によって作り出すことのできる

稀有な能力をもっているのである。

ベンチャーズ、ストーンズ、ジミヘン、ジャニス、シカゴにビートルズ

といった洋楽に影響を受けた幼少時のヒデキは、やがてバンドを結成し

、長いながい音楽の旅を始めることになる。米軍基地近くで育った彼は

、東京よりも早く最新の洋楽や流行に触れることができ、故にこれから

の日本の音楽界がどう発展できるか、深く考察することができた。洋楽

への親和性、技を磨くことへのひたむきさ、そして唯一無二のカリスマ

性は他のアーティスト達とは一線を画し、そのため当時の音楽評論家の

多くは彼について決めかね、時として理解しないこともあった。彼のパ

ワフルでエネルギーに満ち溢れた存在そのものが、ともすると何事もダ

イレクトな西洋的なものとして日本文化的視点からは不謹慎で独りよが

りだと眉をひそめられたのかもしれない。当時の批評方法では簡単に定

義できない彼の桁外れの才能に、不快感さえ覚えていたのかもしれない。


西城は幼少時代なかなかなやんちゃ坊主で、よくトラブルに巻き込まれ

ていたようだが、そんな尖がった気質、それが彼を型にはまった男性ア

イドル像から全く乖離したあの、何をも怖れず斬新、大胆に音楽パフォ

ーマンスへの追及をやめない姿勢のルーツとなっているのではないか。

歌手がみな直立不動で歌唱していた時代に、活き活きとステージを駆け

回り、アジアで最もセクシーなシンガーと呼ばれるようになった。その

挑発的なパフォーマンスは他のアーティストたちをも大いに刺激し、真

似をするものも多かった。西城の父は昔気質で厳しく、息子の芸能界入

りには猛反対していたが、それをものともせず彼は1971年の10月3日

、16歳にして故郷広島を後にし、片道切符で東京へ向かったのである。

先のことなどわからぬままに。その道がスターダムへ続くものだなどと

は知らずに。初めは曲作りや事務所での下働きをしながら、自らの歌唱

力に気付き、そしてトップアイドルとしての名声を得たのだ。1972年

、RCAから西城秀樹としてデビューを果たす。キャッチフレーズは、ワ

イルドな17歳、であった。

70、80年代を通して、数多くのレコードをリリースしているが、よく知

られているのは彼が洋楽のカヴァーを頻繁に取り上げているということ

だ。ヴィレッジピープルのY.M.C.A.やジョージマイケルのCareless

Whisper、そしてバリーマニロウのIn Search of Loveなどである。これら

数曲をみても、日本人に馴染みのない、もしくは時期尚早と思われたよ

うな最先端の洋楽を、ジャンルを軽々と飛び越えて表現し、提示してい

る。評論家からの冷遇を気に病むことなく、ひたすらにファンを喜ばせ

ることに心を砕き、情愛、失恋、シティライフ、メランコリー(憂鬱、

ブルー)など、多岐にわたるテーマを主軸に素晴らしいアルバムをリリ

ースし続けた。どんなバラードも完璧に歌い上げつつ、一方でディスコ

やニューウェーブなどのエッセンスを取り込んだアップテンポな激しい

ものも得意とし、その振り幅の広さに恐らく同業者の中には西城を脅威

の存在と見ていたものもあるだろう。西城のその驚異的なパフォーミン

グ力、アーティストとしてのレベルの高さがあまりに突出していたため

か、彼の功績は多くがメディアに無視された。出る杭は打たれるのだ。

2018年5月16日、神奈川県は横浜市にて、西城は心不全によってこの世

を去った。国中の有名人や歌手仲間がその死を悼んだ。評論家によって

見落とされ、一般人からも深く理解されていなかった彼の音楽は今、壁

を打ち破り勇気を持ってユニークである事を恐れなかった偉大な歌手の

証しとして遺されたのだ。過去の冷遇はさておき、今。世界中で、彼の

音楽に触れ、愛し、その奥深い感情をまとった歌声のなかに何かを見出

すリスナーが現れた。世界でここまで成長し、ここまでのインパクトを

のこせるアーティストは、そうそういないだろう。彼はこれから、自ら

の作り上げた膨大な数の音楽たちと共に生き続ける。過去の代表的な音

楽を掘り下げよう、知ろうとする様々な世代の聴き手によって遺され、

また再発見され続ける。音楽共有サイトやストリーミングサービスのお

かげで増え続ける熱烈なファンによって、西城秀樹は聴衆を魅了し続け

、本物の芸術性とは、魂の表現とは何かを知る人々によって新たな評価

を確立している。

西城秀樹さん、心からありがとうございます!

以下、私の西城秀樹のお気に入り曲のミックスしたものを貼っておきます。