【現代の浮世絵JAPANESE CITYPOP/前編】

さぶかるかいせつ「J」:誰もいないプールに続く永遠の夏、シティポップ、DJヴァン・ポーガム、フェロノサ、永井博、鈴木英人、デイヴィッド・ホックニー

こがまなぶさぶかるかいせつ「J: JAPANESE CITYPOP」

アーティスト/デザイナー古賀学の新作プロジェクト「Sim Alice」に接続するサブカルチャー、アート、ホビー、ファッション、デザイン、写真、水中美女を横断的に解説していきます。

今回のテーマは「J: JAPANESE CITYPOP」前編

2010年代後半に世界中で聴かれるようになった1980年代の日本の音楽シティポップについて都鳥流星さんと楠見清さんをゲストに解説していきます。

後編:2025年5月14日公開予定

出演:

古賀学(アーティスト/デザイナー)

都鳥流星(音楽ライター)

楠見清(美術評論家)

00:00

00:27 今回のテーマは「ジャパニーズ・シティポップ」

00:45 ブームのきっかけになるDJヴァン・ポーガム

05:28 現代のフェロノサ

07:15 恥ずかしいものがあった

10:43 山下達郎「FOR YOU」中古レコード屋

12:14 松原みき「真夜中のドア」が何億回も再生されて

12:47 シティポップという呼称

14:19 メロディ主体の音楽が聴かれる

16:03 日本語のまんま

16:33 1970年代のアメリカのAOR

18:19 ヴァン・ポーガムに現代のフェロノサだと伝える

20:17 J-POP/シティポップ

24:08 西海岸風、近未来都市TOKYO風

24:32 Y.M.O.とテクノ歌謡

26:11 ビジュアルのイメージ

27:20 文化の交配

29:00 エキゾチック/異国情緒

31:25 永井博と鈴木英人

33:33 デイヴィッド・ホックニーのプール

38:46 エドワード・ホッパーの都会の夜

41:06 人がいないプール

42:37 わたせせいぞう

42:43 江口寿史

44:26 1980年代の日本の若者文化と1950年代のアメリカ

44:55 インドネシアの若者文化

46:34 後編につづく

46:44 エンディング

都鳥流星

@daisukitaiwan3877

IG: ryusei_miyakodori

楠見清

IG: kusumedia

滝沢洋一「かぎりなき夏 Van Paugam 2024 Remix」アナログレコードシングル盤(C/W:滝沢洋一「かぎりなき夏 1982 Mix」)

https://mag2.base.shop/items/94322546

#シティポップ #1980s #VanPaugam #citypop #フェロノサ #永井博 #鈴木英人 #デイヴィッドホックニー #エドワードホッパー #江口寿史 #エキゾチック #山下達郎 #大瀧詠一 #アート #クリエイティブ

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00:00:02 アーティストデザイナーの小がなぶです。 音楽ライターの、え、宮子です。美術評論家の楠吉です。 準備中のプロジェクトシムアリスがアートなのかホビーなのかファッションなのかデザインなのか自分でも分かりません。小川ナブサブカル解説小がサブは僕の周辺領域を解説していくことでシムアリスにふさわしいジャンルを探るチャンネルです。 今回のテーマはジャパニーズシティポップ。今回は宮取り流星さんによる企画です。よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。最近ちょっとその色々、ま、記事を書かせていただいているんですけども、この、ま、ムーの、ま、最初のきっかけになる、え、 DJ の人を、ま、たまたま本当偶然なんですけど、別の初材をしてた時に彼の書いてたブログを発見して [音楽] うん。で、あの、なんかYouTubeで アカウントをbanされたということを ずっと日記のように書いてたブログがあっ て、で、ま、彼は最初にアップしてた人間 だったので、ま、その当時は、ま、調査権 みたいな形で、ま、警告を受けて アカウント自体が削除されちゃったんです けども、ま、そのどんく前ですか?えっと 、2019年の2月あで彼が最初にアップ

00:01:24 したのが2016年ですね。 だから日本、え、早いんですね。だから日本だと全然まだ騒がれてない頃というか、 [音楽] そんなことが行ったこと自体も知らなかった頃だと思うんですね。 [音楽] え、彼はそのアメリカの四角っていう ところで、ま、DJをやっていて、元々 日本が大好きで日本の文化をすごい、え、 興味を持ってレコードを集めてたらしいん ですけど、それがそういう風に呼ばれて るってことを知ったのが2011年ぐらい で、で、ま、自分の集めてるレコードが、 え、大体そういう名前のジャンルで呼ばれ てるっていうのを日本のガイド本を入手し てして、で、ま、じゃあちょっとそういっ たものの中から自分で、ま、リグった、え 、レコードを、え、要するにこういう だけっての集めてミックスして1 本に繋いで流してみようっていうんで YouTubeに上げたのが2016 年だったんですね。で、その時彼がなぜやったかって言うとその YouTube 上でそういうことやってる人は誰もいなかったってんですね。当時 うん。 ま、もちろんクラブのイベントでもしかやってる人いたかもしれないですけどそれはま、どちらかというと主流ではないというか、ま、一部の人にたちだけのもので世の中の人たちに聞かせるっていう機会が多分ほとんどなかったっていうとこで

00:02:29 YouTube に多分試しにあげてみたんだと思うんですね。 そしてものすごい反応で反響がコメント欄 にどんどん反響が来る。 で、ま、もちろんそん中にはもちろんあの松原木の前中のドアが入ってたりとか、 竹内マリアのプロスティクラブが入ってたりとか、もちろん山の曲も入ってたし、もう今日本では、ま、全然知らないようなミュージシャンの曲、あるいは歌手の曲も入ってたんですけども、その外の人たちの反応がものすごい良かったので、ま、彼はどんどん動画アップしていたんですけど、ま、当時の YouTubeの 規約にはい上げていいという約はなくて、今は下 に、あの、この音源はこの作者でしょってのが表記されてるんで、ライセンスが出るので うん。 あの、アップすること可能だったりするんですけど、ま、もちろん一部できないものもありますけど、でも、あの、それができたら別にあの、普通にアップできるのが、ま、彼の規約の前の時代だったので、 2019 年に、え、アカウントごとを削除されて、ま、チャンネルごとなくなっちゃったんですね。 うん。なのでチャンネルなくなった後に ブームが日本に伝えられたので彼が伝え たってことは一切報じられないまま、え、

00:03:34 ブームだけが来ちゃったみたいな。ま、 その名前が、ま、DJの、え、バンポーガ ムっていう、え、鹿のDJなんですけども 、ま、彼が、ま、そのネットのその当時 動画を見てた一部の人たちだけには、ま、 名前を知られていて、彼が最初にその紹介 してくれたことを覚えてる人たちはたまに YouTubeでその別の動画とか コメントにそのことを書いてたりする人も いたりするんですけど、本当に一部のその 初期の頃に見てた人たちだけが覚えて、彼 自体がもうなんか最初からいなかったかな 感じでブームが来てしまったって彼門に 反応したの ま、日本人じゃなくてアメリカ人のあ、アメリカ人。そうですね。あとアメリカだけでなくも本当世界中もうインドネシアの人だとか香港の人だとかもちろんあの欧米、あのフランスの人だとかイギリスの人だとかもう本当に世界中ですよね。 もう本当このブームは本当あのアメリカ だけでなくて本当世界的にもう聞かれて るってところが本当面白いとこでいろんな 言語でコメント欄が出てるので YouTubeとかで本当に世界中の人 たちが初めて知ったというかということが 本当に面白いなっていう風に感じました。

00:04:40 当時の日本人はほとんどブームになってる ことを知らないんも多分ほとんど知ら なかったんです。コード会社の人たちも 問い合わせが来た時にそのなんでこんな ことを問い合わせだろうっていうぐらいで びっくりしたって来ましたね。あの何 でしたっけ?そのコンピー版を作りたいっ ていうアメリカから最初に2017年 ぐらいにその多分そのブームを受けてと いうかその反響を受けてあのコンピを企画 した会社があったんですけども日本 の行動会社なんでそんなの教科取りの連絡 が来るのかっての分からなかったと言って ますね。もうそういう動きが知らない間に YouTube でもう盛り上がってたっていう2017 年ぐらいうんで彼のアーカウントは19 年にB されてるのでも本当に最初のブームが日本に伝えるか伝えられないかぐらいの頃に存在事態が消えちゃったみたいなことがあったんですね。はい。 [音楽] うん。 ま、その私はあのその彼のことはですね、あの、ま、勝手にですけど、ま、現代のフェノロサって呼んでるんですね。 日本の国報とかビ術を伝えたくて、あの、海外に紹介したけど逆にね、あの、海外に流出したっつって、あの、彼

00:05:49 [音楽] 批判されたりもするわけですけども、あの、あの、日本の国報だったものを海外に出伝みたいなことも言われたりもしてますけども、ま、なんかその新しい形の国報みたいなものを発掘したのが、ま、あの、欧米の DJ なんじゃないかなっていう風に私は思っていて、今回のムーブやとっても非常に面白いなと思ってるんですよね。 エロのサ自体の存在が消されているっていう。 そうですね。江さんはね、あの運その本になったり、あの名前も残ってますけど、ネット上だと完全に泣きもできちゃうので、削除されてしまうので、 最初のきっかけの人間が最初からなかったことになってる悲しい話なんですけど、 日本の文化ってあの海外の はい。人から発見されますよね。 やっぱりね、 我々があの日本の独自の文化だって思ってるものがこう実はこうなんていうか、え、ある意味こう世界に通用しないものだったりして、 あの逆にあの海外の目から見て発見されたものが、ま、本当に浮いとかもそうですけどね。え、 そうですね。ええ、なんか壺とかのね、なんか干渉剤として浮いをね、あの うん。うん。入れててかったら中から とんでもないハングガが出ていくという話

00:06:59 をよく聞きますけどまさにそんな感じです よ。日本人はああんま価値があんまりない と思ってたというかあんまりその外国欧米 のものは素晴らしいだけだけど日本のもの はそんなに大したもない思う。ま、 あるいは当たり前すぎて逆に価値に気づか ないっていうのはよくあるパターンです。 ま、それからこうちょっと恥ずかしいもの がありましたよね。ヒップね。うん。はい 。そう。 で、こう、リバイバルする前までは、あの、え、やっぱちょっと、え、やっぱ 70年代から80 年代にかけてのあのとなんか若者文化ってこうちょっと今的な視点から見ると痛いところがある。 うん。わかります。 そんな感覚があったと思いますね。はい。 なんかちょっと なぜか恥ずかしいものがちやほやされてるっていう変なね。あのなんかあの頃を知ってるというかちょっと知ってる人間からさとちょっとなんかま、ちょっとダサかった頃の自分とかの頃のこ思い出してちょっと恥ずかしくなるみたいななんかちょっとそういう感じがありましたよね。え、価値観が全く違うので今とそのあの当時のあの音とかもそうですよね。 あ、なんかこのドラムのバーってなんか音がこう響いてる、あの栄光かかってる音とかっていうのはちょっとなんか今時じゃなかったり風に聞こえたりとか当時はま、割と終了でしたけどでも逆に向こうの人たちはそれが新鮮というか別のノスタラジックというか

00:08:18 うん。 あの聞いたことない未来のからやってきた過去のノスタルジックみたいななんか不思議なことを、え、感じたっていう風におっしゃってたんで、なんかそういう感覚って日本人にはないですよね。 やっぱ生活の時代を知っちゃってるので、 この時代を知らない世代には素直に受け入れられてるっぽいですよね。 そうですよね。だから日本人のちょっとその今回のこのブームの感覚ってなんかすごくなんか、え、素直に受け入れられない部分がちょっとありますよね。懐かしい音楽は興味あるし、懐かしいって思いではあるけど、その初めて聞いたものとかっていうのを評価、どうしていいかっていうのがちょっと分からない。戸惑いみたいな。 [音楽] [音楽] だ、全然知らないし、これヒットしてない しみたいな。そんな今日聞いたことない ですよ。誰この人みたいな風に見ちゃうん ですよね。日本人の人。なんか向こうの人 に全くそういうデータとか歴史がないので 、あの、例えばどういうバンドで誰が くっついてどっから来たからこうなったか なっての全然知らないので、もう聞いて いいかっていう判断で聞けるるってところ がやっぱり面白いですよね。うん。

00:09:47 アメリカっていうかシカゴでシティポップが注目された時点ではこう突然それを発見した感じなんです。文脈とかないみたいですね。もう本当ガイド本を見てあ、自分が買ってたレコードとかの流れでこういうのがあるんだっていうのしてお金も買いたしてみたいな感じで買ってって聞いていいやつだけ曲だけ抜粋してみたいな本当にも今のプレイリストにちょっと近いですよね。 Spotify とかあいう感じ感覚だと思います。 なんかあの自分が聞いていいと思ったやつでお気に入りに入れるみたいななんかそんな感じの感覚だ。だから今の曲とか昔の曲っていうよりか、ま、感覚もないんじゃないですけどね。 うん。 何年に作られとかってあんまり多分あんまりよくわかってないんじゃないかと思 やっぱり歴史とか文脈とかあの関係なくね本当にアルバム単位じゃなくて 1 局ずつえの本当に聞いていいか悪いかみたいななそういうのってすごくこう現代的な音楽のこう聞かれ方ですよね うんちょうどサブスクとかが主流になったのとちょうど うん あのぴったりはまったところもあったんじゃないですかね。 やっぱり本人たちはすごいびっくりしたというか、宝物を見つけたみたいな感じだったと思うんですよね。

00:10:32 [音楽] うん。 日本だとダサいとか恥ずかしいとか言われて レコード屋とかで500 円とかで売られてるレコードを聞いたらびっくりするみたいな。私あの山田達の 4Uってあればもう20 年以上前に中野のレク買ったんですけどその時 500円とか600 円ぐらいだったと思うんですね。 それが一時期8000円とか1枚うん。 うん。 高いところだともっと取ってた1 万円以上出してもみんな買ってたんですよね。海外の人たち。日本のレコードって保存状態がいいのでとんどケも傷ついてなかったり下手すら帯ビも残ってるみたいな状態のが多いのですごい数のレコードが日本じゃな海外に留出してた時期が 5数年ずっと続いてたり 浮みたいですよね。 本当に浮いにちょっと似てますよね。 本当に 本当まさにペロサじゃないんですけど、 ええ、 お寺の中でこう崩れかかってた仏像を 見て外国人が驚くみたいな こんなすごいものがあるのになんで日本人はこんな湿気のあるところに放置してるんだみたいなちょっとあれにちょっと近いようなダンボールの中に宝物が全部詰まってるように見えたんじゃないかなと私は思いますけどね。 タバで売ってたみたいなね。

00:11:43 ええ、そう、そう、そう。束でもう箱1 こと買っても全然大したことないみたいな。一 箱いくらみたいな時代もね。 まさにそんそんな感じだと思います。DJ の人たちもそうですけど、そのいわゆる音楽好きの人、マニアの人たちが日本にそのレコード買うためだけに L にしたりとかっていうのは取り上げられ始め頼む 2017年か18 年ぐらいにテレビでなんか変わった外国人がいるみたいな扱いで うん。 なんかその取り上げられて始まそん時は多分あのブームっていう認識は日本人にもなかったんじゃないかと思うんですよね。 その辺の音楽が、ま、物づきがいるなぐらいのレベルだったんですけど、真夜の中のドアがもう本当何億回って再生されてかちょっとなんか急に [音楽] うん。 世の中の、ま、日本のわゆる普通の新聞とかウールドメディアと言われてるやつ、あのメディア急に注目したいとかっていう 点して恥ずかしかったもののはずが日本すげえみたいな こう論調になったりしてます。 で、それまで恥ずかしいと思ってたもんが褒められるから、ちょっと日本人たちなんかこうなんかね、どう対応していいかわかんないというか、自分の過去の写真を見てかっこいいって言われてるみたいな。

00:12:37 [音楽] そういう シティポップっていう故障はこうその時からこう使われ始めたまえ元からあった言葉ではあったんですけどシティポップっていう音楽のりって それこそてえっと日本のと音楽ファンの間ではそんなに一般的な言い方じゃなかったと思うんですけどね。 私なんかもう子供頃だとニュージックとか うん。 いう言葉の方の方がよく耳にしててポップっていうシティポップスとかいう言葉だったりとかなんかその一部のアーティストに対して言ってる言葉として聞いてたような記憶あるんですけどあんまり一般的ではなかったようなフォークとかニュメジクの方がよっぽど世の中的には普通にジャンルとしてあと火用局とか当時は割という言葉でよくられてましたけどうん 火局っていう人たちはあの音楽番組出るけどニュー musジックの人たちはテレビに出ないみたいな とかね、なんかそういうなんかちょっと あったじゃないですか。そういうね、 ちょっとテレビに出ないのはかかっこいい みたいなちょっとなんかそういうイメージ がなんとなく子供の中に音楽番組結構 いっぱいあったのでそういうイメージだっ たんですけどなんか外国の人たちだともう なんかそう聞いてそう思うか思わないかで

00:13:54 判断してるんだところがちょっとあります よね。キラキラしてる音だったらこれも そうだみたいな。 で、これはちょっとなんか、えっと、日本人は好きかもしんないけど、我々にはちょっと違うみたいな感じで、なんかこう日本の人たちの趣味と随分結構離れてるというか、なんかそこが逆に面白いというか、そのチョイスが本当に全く知らない曲とか教えられることが本当に多いですね。 [音楽] [音楽] ま、アメリカのヒットチャートだとリズム中心だったりするけどなんか法学だけなんだろう。メロディ中心 うん。 っていう大避があるじゃないですか。 ありますね。 世界のチャートと日本のチャートが全く関係ないけど、音楽消としては日本はでかいので、もう完全なガラパコス状態。ま、シティポップ関係ない話なとして。 [音楽] うん。関係ない。 でもそのアメリカのリズム主体の国でそれこそシティポップの曲なんてリズムというよりメロディ主体のものばっかりのものを [音楽] うん。 聞くアメリカ人が結構いるってことですよね。 彼らに話を聞くとあんまりそのメロディが強い曲っていうのが長年ちょっと最近まであんまりなくて うん。 え、逆に新鮮だったみたいなんですよね。

00:15:08 強いメロディの曲とか、あの、ちょっとなんか、え、ちょっと情緒というか、情緒的な 曲っていうのが向こうにあんまり特になくて、 日本独特のやっぱなんかその高度進行みたいなのが逆に刺さったというか、時代にちょうどあったみたいなところもあったみたいですね。だから今こないだあの外国に住んでる日本人の人とかに聞くと本当に日本の音楽外国の人もたくさん聞いてるよっていう風によく言われるんですよね。 [音楽] [音楽] 日本で聞かれてるよりも向こうのが聞い てるみたいなこともよく聞くのでやっぱり そのなんか日本人はどうしても潜入感で あのこの人あの曲といえばあの曲みたいな のがちょっとあの潜入感ありますけど 向こうの人たちは本当にマイナーアルバム にしか入ってないのB面の3局目とかに 入ってる曲とかでも良ければもうそれしか 聞かないみたいな もちろん日本語のまんま聞くんですよね。 本合のバ聞いてんですよね。なんて歌ってるか意味わかんないですよね。だからたまに YouTube のコメント見るの見ると面白いんですけど、あのこの歌は何の歌なことを歌ってるんだいみたいなこと聞いてたりするんですよね。あと使用誰か下にコピーしてくれないかみたいなで誰かローマで打ちで書いてたりするんですよね。全部ね。意味はわかんないですよね。音で覚えてんですよね。

00:16:24 そのローマ中読みながら歌うんだ。 それきっと多分歌いたいんでしょうね。きっとね。カラオケね。 カラオケ歌いたいんだ。 な、何て言ってるかわかんないんで。そう。 あの、メロディ体のってと音楽っていうことで言うと、多分 70 年代後半アメリカにはAORと呼ばれる はい。ああ、音楽があったわけですよね。 で、多分それも、えっと、アメリカ人からしたらやっぱり、え、ちょっとあの、過去の恥ずかしい音楽だったんじゃないんですか?それを、えっと、日本のシティポップをこうなんか売としてやっぱり再発見するみたいな、そういう点とこうなんか [音楽] こう文化的な動きだったのかなみたいな気もしますけど。 [音楽] あ、確かにそうですね。うん。 なんか西海岸のイメージというか、あの辺のメロディアスで なんかこうやっぱり上駐的な曲もやっぱ結構たくさんあったり うん。 して、でも向こうの人にとって見るとちょっと懐かしいけどちょっと恥ずかしいみたいなあとその親が聞いてる世代の曲みたいなイメージがあって自分たちの世代の曲じゃないみたいな うん。うん。感覚があったと思うんですよ。そうですね。夏目ですね。うん。 [音楽]

00:17:29 ま、日本だとちょっと前に流行った演化というか演化と火用曲の間ぐらいの 曲みたいなのを聞くのちょっと恥ずかしい。 ムードかよ。そう。ムード放とかムド海王 若い人聞かないじゃないですかね。うん。 [音楽] でも海外の人って今本当に日本のその古い曲でも演化も聞いたりするんですよね。もによってはこれ面白いなと思ってんですよね。うん。日本のニューミュージックはもちろんその 70 年代のアメリカのポップスの影響を受けてるんですよね。 うん。かなりだからさ、そういう曲を、ま、なんつうかね、お手本にして うん。うん。ま、似てるけどもちょっと独 部分的に変えてうん。 あの、もちろんそのままやっても日本的なものってやっぱどうしても出てしまうんで、まぱ演奏なりアレンジなりで日本独自性が出てしまうんで、逆にその子がアメリカの人たちにとって懐かしいけど新しいっていうのはやっぱそこ辺の感覚なんだと思うんですよね。うん。 [音楽] だ、それをその本当に打ち捨てられたよう な状態でレコード屋の片隅に積み上げられ て伸びた時に宝がレコード屋にあるのに なんてもったいないことを日本人は思い ながら受けとか本当日本画とか仏道とか

00:18:35 本当それと同じ感覚じゃないかなと思い ます。だからフェノロサっていう言葉を 言って本人に実は先日フェノロさんの話を 実は伝えたんですね。 あなたは現代のフェノロサフェノロさこと知らなかったってあんまり 的にはあの有名有名じゃないと思いますけどね。 そうですね。そちじゃあの親外国人ってま、日本人だとそういうねあの習いますからね。あの明治時代にそういうと医外国人の人がたくさん来て色々教えて帰ってったみたいな。 この人とやっぱり知らないみたいで言ったんですけどよくわからなかったみたいですね。はい。 なんでウキペディアのあの、え、プロフィールの送ってあげましたけどリンクをこういう貢献をした人なのであなたは同じことを今現代でやってんだよっていうことを伝えたらなんかすごい感動してましたけどさんそういうのはあの国報って概念を日本人にこうなんて言うですかね。 初めてこう伝えたというか彼が考え出したものっていうところがすごいな思うんですよね。 それまで日本に国報って概念がなかったっていうのがすごく 面白くて国報って概念がない日本人が国ってものを意識した最初のきっかけがフェノロサだったとすればそのシティポップがま、新たな形の国だった私とは言ってるのはま、そのヘノロさじゃないんですけど、ま、あれ本当に宝を日本人は知らずに放置てたっていうところが面白いなと思うんですよね。

00:19:46 [音楽] 価値を見出してなかったものを発見して世界中にそのことを広めるっていう役割を DJ という形で流行らせたというか役目したってのはやっぱ YouTube とかそっぱネットの力がやっぱ大きいなという風に思いますね。やっぱりそれがなかったら多分発見することもできなかったし伝えることもできなかったなっていう風に うん。思いますね。 確かに 最近そのDJ の人たちがそのなんでそのJP ポップじゃなくシティポップの方発見したのかっていうのを色々考えたりしてたんですね。なんかそのもうちょっと後にやっぱりその JPOP のブームというか日本だと何百万CD が売れるみたいな時代がちょっとあったじゃないですか。 90年代に、ま、小室サウンドだとか、 あの、宇田ヒカルだとかっていうのが本当に日本で CD 大量に売れてた時代だったんですけど、ま、なんでその JP にはあんまりそこまで今も多少あの、もちろんマニアの人たちで、あの、 JP に少しずつ目を向けて始めてる人たちもいるんですけど、 J ポップはここまで爆発的にやっぱりなったのはやっぱりアナログレコードだったっていうことがやっぱでかいのかなと。

00:21:00 うん。DJ があのアナログ版をプレイしてかけることで多くの人に伝えられたっていうこ、そのアナログ版になってたってその日本のそのちょうど CD のとレコードのこの狭にあった80 年代にレコード版で出てたってことは結構大きなま理由かなと思ってるんですよね。だそのバンポーガムってその最初に広めた DJ はあのアナログ版しか書けないんですよ。 うん。要するにCD かけないですね。絶対にあの自分のイベントで全部アナログでやってるんですよね。 要するアナログで出たものしか書けれないんで、 CD しか出てないアルバムは自然とかからないんですよね。 うん。うん。年代の曲があまりられそうそうなんですよね。 JP ポップという言い方も90 年代に入ってるんです。もしくはもうもっと後なんですか? JP ポップは90年代うんかな。うん。 最初にあれですよ。えっと、J ウェイブがあって、それでJ リーグができて、それで、えっと、J 文学とかと同じように、お、音楽のジャナル、渋谷系も含めて JPポップみたいな、J なんとかっていうことがいっぱい そうですね、出始めた頃です。 ええ、イニシャルJですよね。イニシャル

00:22:11 J。イニシャルJ。え、あ、KPポップは JPポップに対する大避なん。 ああ、なるほど。うん。JPもそう。KP ッて。KPPだけ残ったっていうか、 ま、JPポップも言いますけどうん。 うん。あの、 世界的にはやっぱりそうですよね。K ポップの方がメジャーですもんね、ジャンルとしては Cポップもあるみたいですよ。 あ、えっと、チャイナ、 チャイナああ、CPポップ、KP ポップ受けてのポッうん。 世界中でのブーブになったの。 やっぱりそのCD だとやっぱね、ジャケも小さいですし、あとやっぱその DJマシDJ とかありますけど、機械もありますけど、やっぱりあの番でかけてるっていうやっぱ DJにとってやっぱ大きいのかなっていう うん。 感じがしますね。バイナルであったからあの 80 年代の音楽がこれだけノスタルジックで、ま、ちょっと魅力的に感じたっていう、あとコレクターが増えたってのもなんとなく分かるような気がしんですよね。 [音楽] 今後このブームがどうなんのかなって最近まで思ったりもしてたんですけど、なんか割とブームが過ぎてシとなるかなと思ったら割と定着したというか、もう定番化してるっていうのが今最近のなんか動きみたいですね。やっぱね。

00:23:19 うん。うん。TP ポップはもうなんか一緒にしてもブーム過ぎて終わりでシーンってなるかと思ったんですけど、プレイスト相変わらず作られてますし、また新しい音源発見されてレコードなればまた売れたりもするので うん。ま、なんかなんて言うんですかね。 一般的に少しずつなり始めてる1 つのジャンルとして確立したんじゃないかなっていう感じが アメリカのモータンサウンドみたいに [拍手] ああ、もう本当ね、あのなんかこ歴史歴史的なものとしてこう残っていきそうな感じありますよね。 1 ジャンルなりましたよね。もう中にほとんども確か様式ですね。 うん。様式ですよね。 本当で、しかもその様式が曖昧というか、日本人から見ると 何をそう呼んでいいか呼ばないのか、 あの、あんまり明確になってないけど知らずに 1 人歩きしてジャンルができちゃったっていう。 ま、そもそも日本のあの当時のシティポップがこうなんとなく、えっと、西海岸風 うん。 のとかあるいはちょっとなんか近未来都市東京風のサウンドだったわけであって [音楽] そうですね。 なんかその辺のあのやっぱ様式っていう雰囲気 うん。うん。 とかそういう感じありますよね。

00:24:31 うん。YMOなんかもう シティポップとして扱われてますもんね。今ね、あの海外だと 我々だとテクノポップだと思ってたんですけどシティポップの印象ないですけどね。 はい。 でももうシティポップの中に代表的なそのアーティストの中にもう Yも入ってますからね。なるほどね。 ええ、 やっぱりそこが面白いですよね。なんか金 もみんなその海と夏のイメージだけじゃ ないけど都会的なっていうところでは やっぱあのあのアナログでまだあの頃え 録音されてたりとかもしてるのでちょっと なんか疑義打ちなかったりとかやっぱ ちょっと人間臭さまああったりとか完全な 打ち込みじゃなかったりとかする部分も 含めてですけどなんかその受け入れ方が シティポの中の1ジャンルになって るってのは面白いなと思いますね。あとは YMOから発生したあれですよね。 僕の火用みたいなそういうジャルありましたよね。 うん。あ、ありましたね。アイドルがね、ま、やっぱ火用局もあの、ちゃんとあの、こ、なんていうか、抵抗なくこう、作曲して楽曲提供してたっていうあれが今こう人まとめになって [音楽] シティポップ的なるものの要素の1 つにはなってますよね。

00:25:38 あ、そうですね。確かにね。 ですね、あの、中森明田の空とかね、あの、もうもろに ワのサウンドがそのまんま 火くになってましたからね。 発見先がアメリカだったこともあって文脈がぶった切られてるから うん。 え、分類が1回全部ぐシャっとなって、 もう火用局もバンドも関係なくシティポップという新ジャンルを組み直すみたいな考え方かもしんないですね。 そうですね。 だからもうなんかそのビジュアル的なイメージみたいなのも向こうで先行してて なんかネオン感みたいなね、あの夜のネオン感紫とみたいなそのパステルカラーの色と都会的なビルとかあるいはあれですよね。えー、海とかプールとかリゾートとかとかそういうイメージの絵をよく見ますよね。最近シティポって名前であの書かれてるもの海外だともそのイメージで定着してる。 [音楽] うん。感じですよね。 ビジュアルがセットになって。 そう、セットになってるみたいな。色とビジュアルとイラストとかあるいは写真もなんかセットになってるみたいな。なんか日本人が思い上げているニューヨークとか西海岸みたいなのを逆に恩家メリカの人たちが受け入れるってこなんか不思議なんですかね。逆接的というか、なんて言うんですかね。逆乳って言うんですかね。わかんないですけど。うん。

00:27:05 1 回日本のフィルターを通ったものがまた本当の元ネタであるアメリカに戻るっていうこの非常に不思議な現象が起こるっていうのは [音楽] 西海岸への憧れが うん。そうですね。憧れが西海岸の方で受け入れられるっていうこの日本人が憧れてたなんかねヨークの魔天郎みたいなのをジャケットにしてるものを向こうの人はどういう気持ちであれを見てるんだろうっていうのは 非常に興味がありますね。 あ、でもそれはあれですよ。 日本人がタランティーノの映画を見る時とかすごいある。 ビルビルとか。 あ、あれ?あれにちょっと近い感じですかね。 ちょっと変な日本みたいな日本映画に憧れて いろんなものをこうやっぱりミックスしたものが日本人の目から見てもやっぱり面白いみたいな。 あるいはえ、やっぱ我々自身が、え、やっぱ忘れていたりとか、あるいは価値を、あ、あのね、すっかり喪出してたものが、あ、なるほどみたいな 細野はさんが、あの、最初にあの初期のこのソロになった頃の初期の時にエキトチック 3 [音楽] 部作っていうのを作られたじゃないですか。あの、トロフィカルダンディとかタイヤ洋光払いソ 3 枚、それやって、あの、ハリウッド映画で描かれてる日本

00:28:16 うん。うん。 を日本人が逆にそれをモチーフにして音楽を作るっていうなんかそういう非常に面白いことをやってた。 その逆バージョンみたいなちょっとなんかそのえっと感覚的には日本人がやってるんですけど 日本人が憧れを抱いたアメリカのイメージをアメリカ人が面白いと思って受け入れるみたいななんかすごい不思議な現象だなと。それが音楽の部分でも現れてるしビジュアルでも両方受け入れられてるみたいな。 こ文化が公倍するというか うん。 コピーされたものをもう1 回元ネタの方が面白がるみたいな うん。 カルチャーですよね。そうですよね。 彼らがその音楽を聞いて飽きないかその次が次って出てくる問題して次は何が出てくる次は何が出てくるっていうのなるのはやっぱり多分その自分たちが知らない うん。 アメリカが出てくるから多分楽しくてしょうがないんじゃないかなっていう風に うん。 思いますね。あのエキゾチックみたいなそういう感覚ですよね。異国情緒みたいな。 え、あの、こうなんだろう。アメリカにとってあるの、えっと、あの、古典的なエキゾチックなものってやっぱメキシコであったりとか、こうそれを、え、なんだ、日本のシティポップを通じて、で、ここなんていうか、カリフォルニアをある種の液下として再認識するみたいなやの木があってみたいな、スポーツカーが走っててみたいな。

00:29:22 [音楽] そういうのもきっとアメリカ人から見たら面白さあるんじゃないでしょうかね。 で、あの、重要なのはやっぱり、えっと、それをあの、 YouTube とかを通してやっぱ世界各国の人がこう同時にやっぱ楽しみ始めたっていうそのある種のエキゾシズムのあの構造みたいな、え、すごくなんかメタ構造化されていく。それをこうなんていうか、みんなこうなんか理解しながら楽しんだっていうのが うん。うん。 あったのかなって思うんですけどね。 ヨーロッパ人から見たジブりアニメとかもそういうことか ラピタとかに描かれてる こうヨーロッパの町並ってこう宮崎は早さんが勝手に勘違いしてきたヨーロッパじゃないですか? 確かにそうですね。でもヨーロッパに住ん でる人はフランス人、イタリア人、 ドイツ人全然違うと本人たちは思ってる けど、それがこうぐしャっと一体化して なんだか分からないヨーロッパが描かれて て、でもヨーロッパの人たちも面白いと 思って多分今見ていて違う国に1回行って 戻ってくるみたいな文脈のぶったられ方は こう注目ですね。そのシティポップの サイブーム。 しかもそれが日本人とって恥ずかしいと思っていたはずの

00:30:53 80年代っていうところが本当に面白い ですよね。うん。なんか70 年代とかそういうのって日本でもちょっと一時期ファッションが流行ったりとか [音楽] なんかそのアングラーのブームとかあったりとかして割とガラジャーとしてかっこいいみたいなところがちょっとあったんですけど 80 年でちょっと恥ずかしいっていうのが割と長く続いてたような気がするんですよね。 こう最近までその甘酸っぱいというかなんかちょっと自分の見られたくないところ見られたようなところがちょっとあったりもしてたので逆にそこを褒められてるっていうのが本当に不思議な感覚じゃないかなと思いますけどね。 いまれないことそうそうて感じ。 その話の流れでその日本人のイメージする リゾートとか西海岸とかなんかそういう都会まみたいなところでそ結構そのレコードジャケットの部分で結構そういうのを描いてるジャケットが多いじゃないですか。 ボのってイラストとかだとやっぱりその 長浩さんのまロングバケーションのあのジャケだったりとかあるいはあのま先ほど言ったような山下郎さんのホ有みたいなあいうええ町並のところの木と町並看板みたいな車会社みたいな 鈴木人さん

00:32:13 エ人さんその鈴木人さんとかのイメージって結構あると思うんですよね結構あのシポップって日本人が聞いてもその感覚ちょっとあっ たりとかで海岸の人たちも割とそのイメージで割とそのコンビ版とかも教習をあの景けを長さん書いてたりするんですよね。頼んでたりとか うん。うん。 ええ。で、あと鈴さんにも今そういうオファーが行ったりとかっていっていうのはやっぱりその外会の人でもやっぱそういうイメージがやっぱりあるからだと思うんですけど。 [音楽] なんか大評価でやっぱ展覧会とか合衆とか出直してますよね。 あ、そうですよね。 今すごい、あの、また最注目されていて、だから当時は割と、ま、当たり前にあったものというか、割と身近に 確か中学校の時の教科書って、あの、私は英語、英語の教科書って、あの、ニューホライズンっていうやつ使ったんですけど、ジャケットが鈴人さんだったんですよ。 80 年代でしたけど、もうああいう感じの絵でなんかあのなんかね、こうヒラヒラっとなんか空を空調なんか待ってるみたいなね、なんかああいう絵が書かれたりとかして海外のなんかイメージっていう なんか数年前にユニクロのUTで 長浩しさん出てましたね。

00:33:17 あ、出てましたね。 あのロバけのあのプールみたいなやつがそのまま Tシャツになってましたよね。 だからもう日本っていうかもう本当T シャツとしても文化としてもスティフオフのあれがジャンルでビジュアルのジャンルで再評価されてきてるみたいな。で、今日はあの、あの、くみさんにちょっと聞したかったのはそのデビッドホックにとの うん。あ、 配信みたいな話をちょっと聞きたいなと思っていて うん。スイミングプールシリーズ。 やっぱりあの奥にとえばもうプールのシリーズじゃないですか。 もと60 年代からずっとプールを書き続けてるっていう。 いや、えっと、正確には、え、イギリスにいた時にはプールは書いてないと思うんですよ。 うん。 そうですよね。アメリカに渡ってからってことです。 そうですね。ええ。 で、あるってやっぱりロンドンのこう、なんていうか、えっと、後会やあるいはこうなんちゅう、あのカルチャーシーンの閉塞館みたいなものから、え、やっぱ飛び出すように、え、やっぱカリフォルニアに渡るわけですよね。 で、え、確かにあの当時の70 年代のアメリカ西海岸の明るい日差しであったりとか、それからあるいは、えっと、自由な解放的な雰囲気で、彼はゲイなんで、で、そういったあの、ある種のジェンダーに関する、えっと、そういった、えっと、文化みたいなもの、ここなんか自由なこう感みたいなものも、あの、には、え、かれてると思うんですけれ

00:34:52 も だからああ、その時にと60 年代的なこうポップアートがやっぱ70 年代に北国がアメリカに渡ったことによってやっぱ次の段階に変用したっていうのは確かにありますよね。 やっぱり元からアメリカにいた人の絵西海岸じゃなくて 洋からアメリカに来た人の絵西海岸なんですね。 [音楽] そうですね。 ええ、やっぱ曇空の多いイギリスロンドンから来たうん。ホックニーが発見したこうなんだ、西海岸の青い空。そしてこうなんにこう反射して揺れるこうプールみたいなそういうのですよ。 キラキラキラキラしてる。あのス バトスプリンクラーとかそういうやつそういう世界でしょ。 うん。そうですね。 ずっとそれを書き続けて それであの、ま、ちょっとあるミニマリズムというか もう本当に 宣伝された時落とした建物も本当にもうこれビジの建物のような うん。 ほとんど装飾のない建物の中にプールがあって うん。 で、ま、水きがあったりとかあるはキラキラ光る水面だけがあったりとかっていう うん。そういう作品をずっとうん。 継続して書き続けてで、ま、西海なんかその渡った時なんかそのプールがある家に家のほとんどにあるってことですごい驚いたみたいな

00:36:18 ことをなんか前に本人が言ってたのを見たことがありますけど、ま、そのプールだらけ [音楽] うん。 街中の贅沢にプールがあるとてもなんかいかにもアメリカの文化って感じがしますけど やっぱロンドンでは考えられないですよね。 そうですよね。 絶対考えられないと思う。ロンドンにあるのバックヤードですよね。 裏庭がこう必ずどこの家にま、 そうですよね。庭ですよね。裏庭ですよね。 2023 年のホック店であのプールが1 点もなかったのが悲しかったですね。 あ、本当にそうだっけ?そっか。 あの若い時の作品と晩年の作品は全部ある。 全部いうかシリーズごとにあって、最近やってるあのデジタルの長いやつとか 映像と連動したやつとかもあったんですけどプールが何もなくて なんか代表するシリーズなのに うん。面白いですよね。私も90えっと2 年にえっと渋谷の文化村ザミュージアムってところでホックニーの [音楽] うん。 で、なんか見に行ったんですけど、えっと、確かそれホックニーのオペラ点っていう店覧会で、なんかその舞台美術的な作品のやつを全部集めてきた。その時もプールがなかったです。 だからその後しばらく奥にとプールって結びつかなかったんですけど後でプールのシリーズがあること知ったという

00:37:34 世界最高学の作品になった。 あ、ありましたね。恋人を見てるやつ。 ええ、あのプールの中ねから見てるみたいなあれが うん。 一点物ではすごい金額になりましたよね。 100何億とか。 うん。当時の絵画の最高額を 最高額。うん。 [音楽] けどその長井さんってやっぱり北に影響受けてるのかなと思ってそのそういうインタビューとかないのかなって見たらその本人はやっぱ影響受けた作家はいないけどなるべく今書く時に注意してるのはデビッドホック 2にいないように書いてるっていううん。 インタビューで答えてましたね。 国っぽくなったらこれちょっとまずいなと思って逆にそうならないようにするってすごい面白い。 気を貼らないとついにちゃうんです。 そうついにちゃうっていう鈴さんも結構そのプールを変えてる作品以外にあったりしてある。え あのやっぱ同じように水面がこうキラキラしてるところをこう全部色分けしたりとかして 書かれてたりして なんかやっぱりそれだけでもジャケットになりそうな感じのいいイラストですね。 外社とヤの木のイメージがすごいいい ありますよね。あります。 ア車とき看板みたいな 感じのうん。 えっと風景の発見ですよね。で、え、多分

00:38:51 アメリカ人にとってはあの、えっと、 ロサンゼルスの裕福なうちにプールがあ るっていうあの風景は風景がこう画題とし てこう特にてなり得ないものだったのを やっぱロンドンから来たがこうそれを絵に することで発見したわけですよね。うん。 だからやっぱそれ以前はあの プールやっぱり絵の題材になってなかった と思うんですよ。うん。 ま、ただとアメリカにはエドワードホッパーとか要するにコンクリートのこう建物みたいなものあ、あるいは郊外のこう住宅みたいなものが風景画の画題になるっていう、ま、選ク者がいたわけですけど うん。 エドワードホッパーのあの1 番有名なナイトホークて作品とかあれあれですよね。えっと、シティポップっぽいですよね。 [音楽] ぽいですね。確かにあれ、あのまま邪けになりそうな いやていうかジャケにえてますよ。 うん。そうです。南吉のあのジャケですよ。アルバムの。 ああ。うん。ね。 あ、本当だ。なってましたね。 うん。 セブンスアビニュースハウスってアルバムですね。 うん。そう、そう、そう、そう。 まさにそのまま使ってますね。え、だ、本当ってとなんかやっぱ夜のこうな都市のあのやっぱ酒場をこう外側からガラスを通して見たみたいなそんな風景が風景側の題材になるなんて要するに誰も思わなかったわけですよね。

00:40:18 でもエドワードホッパーはあのそういうことをやっぱ近代的なこうなんか都市生活者のこう視線みたいなものをどんどんこうへの題材にしてったみたいなのとホックニーが うん。 やったことはすごく似てますよね。 で、ある意味そう、エドワードホッパーがなんか夜のナイトライフ部門をここなんか資格的なイメージとして着してったのでホックにはなの日差しの明るい部門を 夜と昼なんですね。 そうそう。表彰化してった。その両方をこうなんか日本のシティポップ表彰がこうまたリミックスしたっていうかマッシュアップしたみたいなそういう感じはありますよね。 うん。シティポップのそのプール在したものとかってやっぱり人がいないですよね。誰もいない。 風景のみっていう あのほっぺは人がいたりしますけど。 ああ、なるほど。そうか。 なんかこう長井さんも鈴け健人さんもいない。 人がいないないんですよね。人が出てこないんですよね。 田さんのあのジャケット郎さんらしき人がちょっと横に立ってますけど顔がなかったりとかですね。 のペロボで立ってたりとかするんですけど、なんかこう人間がいないっていう うん。 で、ひたすらそのプールだったりとかリゾートだとかビーチだったりとかっていうのが本と風景側として本当本当に風景側として残ってるっていうのがなんかそのジャケットしてのなんかなんて言うんですかね。あ、ま、クールな感じが逆にあのアメリカの人たちとか見たらすごく新鮮に映ったんじゃないかなと

00:41:45 [音楽] 思いますね。うん。なるほどね。 という意味でホックのそのプールの入れ抜き方みたいなのにちょっと通じるものがあるのかなっていうちょっと思いますね。あれもあの有名な 1 番有名なあのあのすごい水ブきみたいな作品あるじゃないですか。 ええ、あれですね。あれとかもう 飛び込んでる人は映ってないんですよね。きだけですよね。うん。 ええ、 すごく大きな水しきっていう、ま、日本語でされてますけど、あれはなんかもう映ってないですけど、 うん。 建物とあと、ま、飛び込み台みたいなとこだけが映ってるみたいな。なんから本当にシティポップのジャケットにちょっと通じるものを よく感じますね。 人が出てくると渡瀬清さんみたいになってこう渡瀬清さんがいてあとそのまま実続きで江口久さんもやっぱり時代的には同時代なものからずっとご活躍ですよね。 うん。 でもやっぱりあの頃の絵柄ってしばらくずっとやっぱり過去のこうちょっと恥ずかしいものだったじゃないですか。で、それが うん。 やっぱこことやっぱ10 年くらいですよね。リバイバルしたのは。 で、それはあの音楽のシティポップのリバイバルとすごく関係あると思うんですよ。

00:43:14 うん。 うん。半から、え、漫画の絵柄あるいはなんかイラストレーションの画題 うん。 にしてもあるし様式としてえっと再発見されてこうやっぱその時代のものとして着したみたいなそういう感じですよね。 ポップアウトみたいなものからすごく影響受けたさんの作品が うん。 一旦その、ま、イラストレーションとして日本人にすごく受け入れられて、また海外の人たちにもう 目が触れる機会ができるっていう 本当そのシスティープオフと同じような流れでね うん。うん。 評価されてるのが面白いなと思います。 割と今色々注目されてますよね。その、えっと、日本人のそのアーティストの人たちのジャケットにも うん。あ、使われたいとかっていう ことがまた起きたり、あとちょっと似たような絵を書く [音楽] イラストレーターズとかで現れたりとか いろんなことが起きててうん。 ちょっと前考えられなかったことが結構起きてきて うん。 なんか流れとしてあ、こういう流れもその音楽だけじゃなくイラストレーションとかデザインとかの世界にも影響与えてるんだなと思って。 僕の事論だと、えっと、やっぱ80 年代の日本のあの若者カルチャーの様式ってアメリカのフティズを意識してたんですよね、実はね。

00:44:39 [音楽] で、やっぱヤシの木であったりとか赤い ア車であったりとかってやっぱり アメリカングラフィティのあの世界であっ たりとかフティズのあのアメリカの火用局 とかにも影響受けたりもしてるし今僕 すごく興味のインドネシアのあの若者文化 とかでインドネシア今すごい若者の人口が 多かったりして本当にえっとなんだろう 音楽とかあとバイクと かすごくあ あの、え、盛り上がってますよね。で、それが日本の 80年代って似てるんですけど、 あの、80年代の70年代、後半から80 年代の日本人がアメリカのフティズの西海岸をイメージしてこう自分たちで何かやってたみたいに、 今多分インドネシアの若者たちは80 年代の日本とか東京とかをイメージしながらこう自分たちで何かを 作ろうとしてるっていう。うん。 ようやくなんかそのと構造がえっとなんか次にこうバトンが行ってる先が見えて 面白いですね。 ええ、なんか分かったっていうのが僕の 80 年代を知ってるここ人間でも今ようやくわかったみたいなそんな感じありますよ。 あ、だからインドネシアでシティポップが流行ったりしてるんですね。今結構インドネシアの人たち本当好きですよね。

00:46:04 ええ、スティーポプが あとドラゴンポールとか好きですよね。え、 ああ、好きです。うん。 ドラゴンポールも実際に80 年代ですもんね。始まったの。 うん。あの、やっぱ鳥山明のあの、絵柄好きな人インドネシア多いと思うんですよ。なんかあ、 いろんなパロディがあったりとかね。80 年代の日本のカルチャーを当時のアメリカ人が見たらまれなかったのかもしんないですね。なるほ ど。当時の今のアメリカ人じゃなくてく うん。うん。うん 。車とウォークマンとスマホ。その 移り変わりですね。それまさに50年 代現在な。 [音楽]